宇都宮地方裁判所 昭和28年(行)13号 判決
原告 坂本義一
被告 栃木県知事
一、主 文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
本訴請求は、原告訴訟代理人の陳述によれば、請求の趣旨として、被告が、昭和二十八年六月一日原告に買収令書を交付してなした別紙目録記載の農地の買収処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、請求の原因として、別紙目録記載の土地は原告先代坂本駒造が大正五年から、当時の所有者外谷畑運平から賃借し、爾来引続き耕作して居た土地であつて、その後原告が先代駒造から賃借権を承継し耕作している農地であるが、昭和二十二年十二月旧自作農創設特別措置法に基き国の買収するところとなり、その頃同法第十六条の規定により原告が国から売渡を受け、引続き耕作して居た。ところが昭和二十六年五月初旬原告において腹膜炎を患い、同年七月十六日芳賀赤十字病院に入院して手術を受けることになつたが、その頃原告方は原告夫婦の外当時十八歳の長男光男を頭に三男和巳十五歳、二女明子九歳、四男敏雄五歳、三女とみ子二歳及び四女ハル子一歳の六人の子女と七十九歳の老父駒造があり、僅に七反歩の田畑を耕作する零細農家であつたため、貯えとては殆んどなく原告の入院、手術費用にも事欠く実情であつた。そこで原告の妻なをは金策のため原告に無断で訴外島田七郎に前記二筆の土地を返還期を原告が芳賀赤十字病院から退院する迄と定めて賃貸した。尤も賃貸といつても極めて短期間のものであつて収穫した米穀の供出も原告名義を以つてすることにしたのである。かような訳で右土地を賃貸はしたがその賃貸借は農地法第三条第二項第六号所定の一時貸付の場合に該当し、栃木県知事の許可を要しないものであつた。然るに物部村農業委員会は右賃貸借の実情を調査せず、原告が県知事の許可を受けずに農地の耕作を廃止したものであつて農地法第十五条第一項所定の事由ありと速断し、国において買収すべき農地であるとして被告に同条第二項、第十条所定の事項を記載した書類を進達したところ、被告は実態を調査せずして右進達を鵜呑にし、昭和二十八年五月十八日付を以て別紙目録記載の土地を買収する旨の買収令書を同年六月一日原告に交付して買収処分をした。被告の右買収処分は農地法第十五条第一項所定の事由がないのにこれあるものとして買収した瑕疵ある行政処分であるからその取消を求めるものというのである。
原告訴訟代理人は、本件訴が行政事件訴訟特例法第二条所定の訴願前置に関する要件を具備しているかどうかの点につき次のように述べた。抗告訴訟における訴願前置の制度は、行政庁の処分を違法又は不当とする者から行政庁に対し異議訴願をなさしめることによつて行政機関の内部において反省再考する機会を作り、一方事件の真実に則した行政上の処理をなさしめると共に他方裁判所の事務負担の軽減を図ることを目的とするものであるから、訴訟提起の前提としては異議、訴願の両者を経ることを要せず、いずれかその一方の裁決その他の処分を経れば足るものと解すべきである。然るところ原告は本件土地の買収に関し被告に対して昭和二十八年三月二十六日強制買収議決に対する異議申立をしたが被告はこれを受理せず、又同年五月二十六日現地調査の不充分であることを指摘して異議申立をしたが却下されたのであるから、原告としては本件買収処分に関して一応行政機関の内部に反省再考の機会を与えたものであつて、これにより訴願前置制度の要件は充足せられたものとして原告の本訴は適法だといわなければならない。仮に原告のなした異議の申立が適法でないとしても、或は異議の申立だけでは足りないとしても、原告は訴願提起期間経過後ではあるが、期間経過につき宥恕すべき事由ありと考え、昭和二十八年九月十二日農林大臣に訴願を提起した。尤も右訴願が同年十二月二十一日却下されたことは事実である。仮に以上の主張が容れられないとしても、本件においては次に述べるように、訴願の裁決を経る迄訴を提起することを延ばすことに因り著しい損害を生ずる虞があるから訴願を経ないで本訴を提起したからといつて違法な訴というべきではない。
すなわち、本件買収令書が原告に交付されたのは昭和二十八年六月四日であるが、物部村農業委員会は該令書の交付と同時に本件農地の買受希望者は昭和二十八年七月十四日迄に申込むべき旨を公示したので、島田七郎、高山勇の両名がこれに応じて買受の申込をした。すると被告は同年八月二十日右両名に本件土地を貸しつけたので、島田等は仮処分により原告の本件土地への立入を禁止し、その引渡を受けようと準備中である。もしそのようになれば原告は餓死する以外に途がない。のみならず本件土地がその買受申込人に売渡されるときは原告はこれを取り戻すことはできなくなり、著しい損害を蒙ることは必至である。しかも今迄の例を見るに訴願は書面審理の結果却下されるのが一般であり、しかも裁決迄に半年以上の日子を要することは吾人の経験するところである。かような次第で訴願の裁決を待つているときは原告の本件土地の所有権を回復することが事実上不能になり著しい損害を生ずる虞がある。そこで原告としては本訴を提起し、執行停止の申立をしなければならない情況にあつたのである(立証省略)。
被告訴訟代理人は、本案前の主張として、次のような理由により、主文同旨の判決を求めると述べた。およそ行政処分の取消変更を求める訴は、法令の規定により訴願その他、行政庁に対する不服の申立のできる場合には原則として不服の申立をした上これに対する裁決その他の処分を経た後でなければ提起することができないものであることは、行政事件訴訟特例法第二条の明定するところである。ところが本件は、被告が農地法第十五条、第十一条第一項により、原告所有の農地を国において買収すべきものと認めて原告に買収令書を交付してなした買収処分の取消を求める訴であるところ、同法第八十五条によれば、同法第十五条第二項で準用する同法第十一条第一項の規定に基いてなした買収令書の交付による買収処分に対して不服ある者は農林大臣に訴願し得るものとせられているので、前述の理由により原告が本訴を提起するには原則として訴願の裁決を経なければならぬのにその手続を経ていないので本訴は違法な訴である。尤もこの点について原告は、本件土地の買収処分に関し被告に対して昭和二十八年三月二十六日異議の申立をしたが受理せられず、又同年五月二十六日現地調査の不充分であることを指摘して異議を申立てたがこれも却下されたと主張しているけれども、行政事件訴訟特例法第二条に法令の規定により訴訟のできる場合というのは法律又は政令の規定によつて訴願、異議その他行政庁に対する不服申立の途が制度上認められている場合をいうのであつて、被告のなした本件行政処分に対する不服申立の方法は農地法第八十五条所定の訴願のみであつて、原告がなしたと主張する異議申立(殊にそれは本件行政処分がなされる以前のことに属する)は法令上認められていないのであるからこれを以て行政事件訴訟特例法第二条本文所定の要件を充したということはできない。なお、原告は本訴提起後の昭和二十八年九月十二日農林大臣に訴願を提起したが、それは本件行政処分後訴願法第八条所定の六十日の期間を経過した後になされた違法のものであつて、訴願が提起されなかつたことゝ一般である。現にそのため右訴願について同年十二月二十一日却下の裁決がなされているのである。結局原告は右訴願につき実体に立入つた裁決を経ることなくして本訴を提起したことになるので本訴は行政事件訴訟特例法第二条本文に違反する違法な訴として却下を免れない。
次に原告は本件は訴願の裁決を経ることにより著しい損害を生ずる虞があるときであるから同法第二条但書に該当し、訴願の裁決を経ることを要しないと主張しているけれども、同条但書の訴願の裁決を経ることにより著しい損害を生ずる虞あるときとは、例えば訴願したが受理されなかつた場合又は受理されたが裁決のあるのを待つていたのでは甚大な損害を蒙る虞ある場合などをいうのであつて、全然訴願を提起しようともしなかつた場合を含むものではないからこの点の原告主張も失当である(立証省略)。
三、理 由
本訴請求は、被告において原告所有にかかる別紙目録記載の農地を農地法第十五条第一項により国が買収すべき農地であると認めて、同条第二項、第十一条第一項に則り、原告に買収令書を交付して買収した行政処分の取消を求める訴訟であるから行政事件訴訟特例法第二条にいわゆる行政庁の違法な処分の取消を求める訴にあたるので、その処分に対し法令の規定により訴願、審査の請求、異議の申立その他行政庁に対する不服の申立ができる場合には原則としてこれに対する裁決、決定その他の処分を経たことを要し、これを経ていないときはそのことについて正当の事由があることを訴訟要件とするものであることは明らかであるところ被告のなしたという本件行政処分に対して訴願を提起し得ることは農地法第八十五条の明定するところであるから本訴が右訴訟要件を具備しているかどうかについて考えてみよう。
原告は、昭和二十八年三月二十六日被告に対し強制買収議決についての異議を申立てたが被告から受理せられず、又同年五月二十六日、現地調査の不十分なことを指摘して異議を申立てたが却下されたものであつてかかる異議申立も行政事件訴訟特例法第二条の訴願前置に関する訴訟要件を充すものであると主張し、かかる事実の存在することは被告も認めるけれども、この点については被告の主張する如く、そのような買収処分前の異議申立は右特例法第二条所定の法令の規定による異議申立ということはできないのみならず、本件行政処分には訴願以外の異議申立は認められていないのであるからこの点の原告の主張は採用できない。次に原告は昭和二十八年九月十二日農林大臣に訴願を提起したと主張し、この事実は被告の認めるところであるけれども右訴願は原告も自認する如く、本件行政処分後訴願法第八条第一項所定の六十日の期間が経過した後になされたもので当事者間に争なき如く、昭和二十八年十二月二十一日却下の裁決がなされたものであるが、成立に争なき乙第一号証の三によれば、右却下の裁決の理由とするところは、訴願が期間経過後になされたものであり、この期間を経過したことについて宥恕すべき事由があるとも認められないというのであることが肯認でき従つて右の訴願の裁決を以て行政事件訴訟特例法第二条所定の訴訟要件たる訴願の裁決とみることはできない。そこで進んで原告主張の、本件は訴願の裁決を経ることにより著しい損害を生ずる虞がある場合であるから訴願を提起せずに直に訴を提起したものであるとの点について検討するに、本件土地の買収令書が原告に交付されたのは昭和二十八年六月四日であるのに、本訴が提起されたのは同月二十九日であるからその間十五日間の日子があつた筈であり、特段の事情の認められぬ本件においては、それ迄の間に原告が農林大臣に訴願を提起する余裕がなかつたとは考えられない。
仮にそれができなかつたにしても本訴提起後少くとも訴願法第一項所定の期間内には訴願を提起することができた筈である。そのことを考えると、仮に原告の主張するような事実があつたとしても、訴願提起期間内に訴願の提起をもしていない本件は行政事件訴訟特例法第二条但書の、訴願の裁決を経ることにより著しい損害を生ずる虞のあるときにあたるということはできない。
原告は訴願は書面審理の結果却下されるのが通例であり、裁決迄に半年以上の日子を要するのが一般であると言つているけれども、果してそのような実情にあるかどうかは暫く措き、仮にそれが事の実際であるとしてもそのことから直に訴願の提起ができるのにその手続をとらなくてもよいということにはならない。要するにこの点に関する原告の所論は、行政事件訴訟特例法第二条但書に該当しないことをこれに該当するものと主張しているものであつて制度の精神に鑑みて採用し難いところに属する。他に同法条但書にあたる事由は発見できない。さすれば本件訴は本案の審理に入る迄もなく行政事件訴訟特例法第二条所定の要件を欠く違法のものとして却下を免れない。そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 石田実)
(目録省略)